事件の陰が残る「毘沙門池」
現在は造成が進み、市内最大の郊外型ショッピングモールとして賑わうエムアイプラザ。しかしその敷地からわずかに外れたところに池があるのをご存知だろうか?
オカルト商売人も幼少の頃何度か遊びに行ったことがあるというその池は、名を「毘沙門池」という。

当時の記憶では池の形はひょうたん型で、普段はほとんど水が無いのだが、雨の後などはある程度の水量があったように思う。
池自体は低地にあり、周囲は大きな樹木が取り囲んでいた。その為昼間でもうっそうとした雰囲気の場所であった。
誰が取付けたのか池の周囲の一本の木からロープが垂れており、ターザンごっこを楽しむことができた。
また、池の近くには三本の洞穴があり、その一つにはホームレスの人が生活している形跡があったのを憶えている。残りの二つの洞穴は少し離れたところにあり、噂ではこの二つの洞穴は奥でつながっているということであったが、当時のオカルト商売人は洞穴のあまりの深さに探検を途中であきらめざるを得なかったのである。


その毘沙門池であるが、今はどうなっているのか?


数年前死体が発見されたという噂があるが、実際はどうなのか?



場所については完全に把握しているし、車もエムアイプラザの駐車場に停められる。従って現地調査は予想通り簡単であった。

目指す毘沙門池に着くと、台風の後ということもあってかかなりの水量を有していた。ただ、池全体の大きさは以前の半分以下になってしまっていた。
おそらくエムアイプラザの脇の道路を造成する際に埋め立てられてしまったのだろう。ひょうたんの大きい方の半分が完全に消失している。
従って当時あった三つの洞穴も跡形も無く消え失せてしまっていた。

「毘沙門天」と彫られた石碑があったが、当時からあっただろうか・・・?

周囲の木々も当時に比べればまばらとなり、「毘沙門池公園」というちょっとしたスペースに整備されていた。

ここで気になる「死体」であるが、朝日新聞の記事データベースを調べてみたところ、こんな記事を発見した。

- - - - - 以下朝日新聞記事データベースより引用 - - - - -

夫殺しと死体遺棄の被告に懲役12年の判決 地裁小田原支部/神奈川
1996.10.26 東京地方版/神奈川 神奈川版 (全472字)
 夫を殺して捨て、殺人と死体遺棄の罪に問われている相模原市新磯野二丁目、鉄工会社作業員宿舎住み込み賄い婦道端和江被告(四七)の判決公判が二十五日、横浜地裁小田原支部で開かれた。畠山芳治裁判長は同被告に懲役十二年(求刑、同十三年)を言い渡した。
 判決によると、道端被告は、愛人と再婚し、保険金一億円も手に入れようと夫で左官の正信さん(当時四二)殺害を計画。二月二十一日夜、正信さんが、相模原市の作業員宿舎敷地に止めていた乗用車内で風邪薬を飲む際、「疲れを取るいい薬がある」とだまして睡眠薬五錠を飲ませ、そのまま放置した。さらに翌朝、この車内で正信さんの死を確認、二十四日夕、正信さんの遺体を伊勢原市板戸地内の空き地に捨てたとされる。
 被告弁護側は「被告が夫に飲ませた睡眠薬は、致死量とは知らず、はっきりした殺意はない。傷害致死罪が妥当だ」と主張していたが、判決は「被告には、一度に五錠の睡眠薬を飲むと危険だとの認識はあった。愛人との結婚と保険金一億円を得ようと、死体を人目につきやすい場所に捨てた確定的殺人」と、検察側の主張をほぼ全面的に認めた。

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事件の時期、死体遺棄という内容、場所が板戸の空き地、他に該当しそうな事件の記事が見当たらない、ということでおそらくこの事件に間違いないであろう。
やはりこの付近で死体が発見されたというのは本当なのであろう。

そう考えると「毘沙門池公園」として整備されたことも、なにか暗い過去を払拭するかのようである。

かつてのどこか「魔」を感じさせた森と池、それは事件の喧騒と道路整備によりすっかり様変わりしていた。


だがここで、オカルト商売人は唯一当時の面影を残す光景に遭遇する!


道路整備により架けられた「毘沙門橋」の下で






今でもホームレスの人が暮らしていました。

- 完 -



記憶にあるかつての毘沙門池




現在の毘沙門池




「毘沙門天」の石碑




毘沙門池公園




















現在もお住まいの方が・・・。


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