失われた「もう死なないで準一」看板

 現地調査で「もう死なないで・・・」看板の痕跡を発見したオカルト商売人だが、言うまでも無くそこに看板そのものは存在しないし、ましてや看板の由来や消失した理由などがわかったわけではない。

 オカルト商売人はアジトへと帰り、文献資料を紐解くのであった。

 かすかな記憶をたどりながら、自らの所有する数多くのオカルト関連文献をあさるオカルト商売人。
 「もう死なないで・・・」看板については、いわゆる都市伝説としていくつかの資料で紹介されているが、どれもあいまいな記述であったり、単なる伝聞を載せているに過ぎない。

 しかしついに、オカルト商売人は「もう死なないで・・・」看板について詳細なレポートが記載された文献を発見したのである。
 
 その文献とはスーパーミステリーマガジン「ムー」の194号である。

 1997年発行の「ムー」誌の表紙には、「総力特集・ノストラダムス世紀末予言の成就」と、当時の時代背景とオカルト界のトレンドを懐古させる文字が躍っている。
 その中の連載記事「怪談の真相/第1回」として、「もう死なないで・・・」看板についてのレポートが掲載されている。
 
 レポートを書いた小池壮彦氏は現地を綿密に取材し、交通事故に関する噂にも触れつつ、この看板の真実に迫っている。
 
 小池氏の調査レポートの概略はこうだ。

 1965年9月2日の夕方、秦野市に住む宇野準一君(当時17歳)が善波峠で乗用車を運転中に、対向車線からはみ出してきた大型トラックと正面衝突し、準一君は翌未明に亡くなった。
 翌年準一君の父親である良太郎さんが、息子の死を哀しみ、自費で街灯を兼ねた看板を設置し、この話は当時の新聞にも掲載された。

 さらに当時の新聞記事のコピーや、故・池田貴族氏の著書「戦慄の心霊写真集」の中にある「もう死なないで・・・」看板の写真も掲載されている。

 オカルト商売人は早速池田貴族氏の著書「戦慄の心霊写真集」を取り寄せ、内容を確認した。そして平成7年発行のこの書物の中に、たしかにその写真は存在した。
 
 「もう死なないで・・・」看板は間違いなく実在していたのである。
 そしてそれは悲しい交通事故の記憶を伝えるものであったのである。

 写真はモノクロであるが、特に文字の書体が確かにオカルト商売人の記憶と完全に一致している。
 また、小池壮彦氏はレポートの中で、「もう死なないで準一」は「もう死なないでくれよ準一君」という意味ではなくて、「もう(誰も)死なないで、by準一」という意味でとらえるのが正しいと推測しているが、看板の文字も、”もう死なないで”と”準一”の間に少し間隔があいている。

 そして看板の上部には準一君の鎮魂を願う菩薩像が取り付けられていたのである。

 オカルト商売人は該当の記事が掲載された、1961年5月10日の毎日新聞神奈川版を捜し求め、いくつかの図書館を歩き回り、縮刷版やマイクロフィルムなどを検索したものの、残念ながら当時の新聞記事自体に行き着くことはできなかった。

 また、六角橋の交通センター内の交通展示館に、「もう死なないで・・・」看板の写真(あるいは実物)が展示されているとの情報を得て現地へ飛んだ。
 しかし交通展示館は既に閉鎖されていた。、交通センターに問い合わせをしてみたが、「閉鎖された交通展示館の展示内容の詳細はわからないし、展示されていたものが閉鎖後どうなったのかもわからない。」ということであった。

かつて実在していたことを確認された「もう死なないで・・・」看板。
しかしそれは悲しい事故という事実の記憶から、やがて伝説となり、そして人々の記憶から静かに消えようとしているのであった。

- 完 −

「ムー」誌・194号


池田貴族著「戦慄の心霊写真集」


文献を元に作成した想像図


夜はこのような感じか・・・。


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