失われた「もう死なないで準一」看板

 さて今回の現地調査の目的の一つは 「もう死なないで準一」看板の痕跡を探すことである。
 オカルト商売人の記憶では、その看板はたしか国道246号線を秦野方面へ向かい、善波峠の中腹辺り、道の左側に建っていたように思う。
 しかし現在は看板どころか、看板が取り付けられていた支柱らしきものすら見当たらない。
 オカルト商売人の記憶の中でも、「もう死なないで・・・」の看板は、その下部の方が破損していたように思う。

 管理者のいなくなった看板は、老朽化とともに倒壊したのか?あるいは放置することによる危険を感じた地元住民や、自治体などの当局によって撤去されたのか?

 とにかく現在においては、少なくとも走行している車の運転席からその痕跡すら全く見当たらない。

 今回の調査に先立って情報収集をしたところ、雑誌「ムー」の第194号に、「怪談の真相」と題する記事があり、その中に「もう死なないで・・・」看板の写真が掲載されていることが判明した。
 早速自宅に保存してある「ムー」誌のバックナンバーを調べたところ、故・池田貴族氏の著書「戦慄の心霊写真集」の記事の引用とともに、池田貴族氏提供の写真が掲載されていた。

 残念ながら「ムー」誌の記事はモノクロページであったが、その写真には確かに「もう死なないで・・・」の写真が掲載されており、しかも若干ながら看板の周囲の風景も写っている。

 20年前後前に写されたと思われる写真に写る付近の風景は、不思議と現在のそれと大差が無いよう見える。
 
 この一帯は畑がひろがる日当たりの良い斜面が続く、一見のどかな風景である。県央有数の交通量を誇る国道246号線が走るため、近年では住宅地が造成され、コンビニやファーストフード店もある。しかしほんの少し気をつければ、閉店したまま長く放置されている店舗や、小さなラブホテル街、ゴミの焼却施設など、日陰に隠れるような風景もそこかしこに見つけることができるのである。
 20数年前の写真の中で印象的だったのは、看板とそれに隣接する電柱に巻きつく植物のツルである。
 この辺りの斜面は現在でも植物のツルが旺盛に伸びており、それを十分に取り払う人もいない、つまり昔からどこかもの悲しいエリアなのである。

 しかしこの昔の写真には歩道に沿ったガードレールや手すり、そして電柱と樹木が写っている。 オカルト商売人はそれらの少ない手がかりを元に、車を降りて歩道を歩き始めた。
 
 しばらく歩くが、長い坂道は似たような景色が続くばかりである。歩道沿いの斜面に祠のような物を発見したが、「もう死なないで・・・」とは特に関係がなさそうである。
 
 更に注意深く辺りを観察しながら歩いていくと、目の前に見覚えのある風景が・・・


 そう、まさしくあの写真のままの樹木と電柱が出現したのである。


 看板の支柱は見当たらないが、この場所こそが確かにあの写真の撮影ポイントである。

 しかも良く見ると、斜面側のフェンスが一部途切れている。

 この辺りの道は脇がかなり急な斜面になっているため、万が一人が落ちたりすると危ないので道に沿って長い、そしてやや高いフェンスが設置されているのである。

 しかしなぜいったいこの場所だけフェンスが途切れているのだろうか?
 
 疑問に思いながらそのフェンスの途切れた部分の外側を覗き込むと、そこにはコンクリートの基礎と、支柱を取り払った跡を埋めたかのような丸いコンクリートの跡がヒッソリと残っていたのである。

 
 場所から考えてこれがまさしく「もう死なないで・・・」看板の痕跡であろう。


 コンクリートの基礎の部分は花や線香を供えた跡こそ見当たらなかったが、ブロックが一つ置いてある。まるで歩道から上り下りしやすいように置いたかのようだ。

 かつてはここに関係者がお参りなどをしていたのであろうか?
 
次回:「もう死なないで・・・」看板が建てられた真相に迫る!

失われた「もう死なないで看板」その4へ

この道のどこかに痕跡が・・・


歩道沿いの斜面に何かを奉ってある。


かつて「もう死なないで・・・」の
看板が有った場所。


途切れたフェンスの向こうには・・。


看板の支柱が建っていた痕跡。


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